The Beatles(ザ・ビートルズ)
言わずと知れた歴史上、全世界で最も広く知られ最も成功したロックバンド。
1962年10月レコードデビュー、1970年4月解散。
ジョン・レノン(John Lennon)
ジョン・レノン(John Lennon)
<生い立ち>
1940年10月9日(18時30分)、第二次世界大戦のナチス・ドイツによる空襲下に置かれたリバプールで誕生。出生時、父・アルフレッドは商船の乗組員として航海中で不在、母・ジュリアも他の男性と同棲していたため、母の姉である伯母のミミ夫婦のもとで育てられることとなる。
1946年、アルフレッドが帰国し、父に引き取られ数週間一緒に暮らすものの、ジュリアがジョンを連れ戻す。しかし母親と暮らすことはできず、ふたたびミミ夫婦のもとで育った。父親もまた、行方がわからなくなってしまう。
<ビートルズデビューまで >
少年時代
1952年9月にグラマー・スクールのクオリー・バンク校に入学したジョンは、ケンカっぱやい不良と評判になっていた。1956年のある日、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールの洗礼を受ける。この頃母ジュリアが近くに住んでいることを知ったジョンは、ジュリアの家を行き来するようになる。ジュリアはジョンにバンジョーのコードをいくつか教え、音楽へと関心を向けさせることとなった。
1957年、処女作・「ハロー・リトル・ガール」を作曲。
ポールとの出会い
クオリー・バンク時代の1957年3月、ビートルズの前身になるスキッフルバンド「クオリーメン」を結成、7月6日、ウールトンのセント・ピーターズ教会で行なったクオリーメンのコンサートで、共通の友人の紹介によりポール・マッカートニーと初めて出会う。数日後、ポールはクオリーメンのメンバーになった。
エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、バディ・ホリーなどのアメリカのロックンロールに夢中になると、勉学はおろそかになっていき、学業成績は最低レベルだった。ジョンはクオリー・バンクを卒業後、同校校長の取り計らいでリヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学する。そこで最初の妻となるシンシア・パウエルや美術での友人となるスチュアート・サトクリフと出会う。
ジョージ・ハリスンとの出会い
1958年2月、ポールの紹介でジョージ・ハリスンのクオリーメンへの加入を認める。
母の死
1958年7月15日、母・ジュリアは非番の警察官が飲酒運転する車にはねられ死去。(2007年に発売された、シンシアの回顧本「ジョン・レノンに恋して」によると、ジュリアに気づいた警官が、慌てて、ブレーキとアクセルを踏み違えたことで起こった事故であることと、警官に無罪の判決が下ったことが書かれている)。このジュリアの死は、ジョンのその後の人生に大きな影響を与え、またすでに(1956年 14歳の時)母親を乳癌で亡くしていたポールとの友情を固める要因にもなった。ジョンの辛辣な性格や年上の女性への憧れは、このような孤独な幼年期、少年期を過ごしたからだと言う説もある。
ハンブルグ
バンドの固定したメンバーはジョン、ポール、ジョージ3人だけでドラマー不在という期間が長い。また、この頃からリヴァプールだけでなく、ハンブルグのクラブなどでも演奏活動を始めている。ジョンのリック325はハンブルグの楽器店で購入したものである。
1960年1月にリヴァプール・カレッジ・オブ・アートでの友人のスチュアート・サトクリフがメンバーに加わり、バンド名も「クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」そして「ザ・シルバー・ビートルズ」と変わっていた。同年8月「ザ・ビートルズ」になりピート・ベストが加入した。一方、スチユは画家になるため、1961年に脱退し、ポールがヘフナーのベースを購入してベースを担当することになる。スチユはハンブルグに残るがまもなく脳腫瘍で死亡した。
ブライアン・エプスタイン
ブライアン・エプスタインをマネージャーに迎えてまもなく1962年6月にパーロフォンとレコーディング契約を結ぶ。8月ピート・ベストが解雇され、リンゴ・スターが加入。
1962年10月5日「ザ・ビートルズ」としてデビューを果たす。
プリーズ・プリーズ・ミー
プリーズ・プリーズ・ミー
イギリスにおいて1963年3月22日に(モノラル盤)が、更に翌月の1963年4月26日に(ステレオ盤)が発売されたビートルズの最初のイギリス盤公式オリジナル・アルバムである。
<解説>
アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』はシングル「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」(1963年1月11日)のヒットを受け、急遽制作されることとなった。当初はキャバーン・クラブでのライヴ・レコーディングが計画されたが、レコーディング環境として劣悪なため見送りとなり、アビイ・ロードのEMIスタジオにてスタジオ・ライヴ形式でほとんどの曲を一発録り(2トラック録音のため、演奏と歌を同時に録音し、オーヴァー・ダブは最小限のみ)で制作された。しかし記録としてはイギリスのメロディ・メーカー誌で30週間もの間1位を独占した。
既発シングルの4曲を除く10曲は1963年2月11日に 10時間程度でレコーディングされた。収録曲14曲中6曲は、このころのビートルズがライヴで好んで演奏していたアメリカのR&B、ロックンロールなどのカヴァーが収録されている。レコーディング当日ジョン・レノンは風邪をひいておりヴォーカルがやや鼻声になっている。
このアルバムは当時の慣習でモノラル盤・ステレオ盤の双方がリリースされている。CDでは1987年にモノラルで発売され、2009年9月9日にステレオ盤がCD化された。ステレオ・ヴァージョンが存在しない「ラヴ・ミー・ドゥ」と「P.S.アイ・ラヴ・ユー」の2曲はLP盤では疑似ステレオ・ヴァージョンが収録されていたが、CDではモノラル・ヴァージョンのまま収録された。
日本での本アルバムのリリースは遅く、ビートルズ解散から6年後の1976年6月のことであった。ただしそれ以前に『ステレオ! これがビートルズ Vol.1』と題して曲順替えされたものがリリースされていた。また本作はアメリカではCD期までリリースされず、編集盤がヴィージェイ・レコードから "Introducing... The Beatles" というタイトルで、キャピトル・レコードから『ジ・アーリー・ビートルズ』というタイトルでリリースされていた。
<収録曲>
アナログA面
1. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア - I Saw Her Standing There (McCartney - Lennon)
演奏時間:(2'52")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
2. ミズリー - Misery (McCartney - Lennon)
演奏時間:(1'47")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノンとポール・マッカートニー
3. アンナ - Anna (Go To Him) (Alexander)
演奏時間:(2'54")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
アーサー・アレキサンダーのカヴァー曲。
4. チェインズ - Chains (Goffin - King)
演奏時間:(2'23")、リード・ヴォーカル:ジョージ・ハリスン
クッキーズのカヴァー曲。
5. ボーイズ - Boys (Dixon - Farrell)
演奏時間:(2'24")、リード・ヴォーカル:リンゴ・スター
シュレルズのカヴァー曲。
6. アスク・ミー・ホワイ - Ask Me Why (McCartney - Lennon)
演奏時間:(2'24")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
7. プリーズ・プリーズ・ミー - Please Please Me (McCartney - Lennon)
演奏時間:(2'00")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
アナログB面
1. ラヴ・ミー・ドゥ - Love Me Do (McCartney - Lennon)
演奏時間:(2'19")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
2. P.S.アイ・ラヴ・ユー - P.S. I Love You (McCartney - Lennon)
演奏時間:(2'02")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
3. ベイビー・イッツ・ユー - Baby It's You (David - Willlams - Bacharch)
演奏時間:(2'35")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
シュレルズのカヴァー曲。
4. ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット - Do You Want To Know A Secret (McCartney - Lennon)
演奏時間:(1'56")、リード・ヴォーカル:ジョージ・ハリスン
5. 蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー) - A Taste Of Honey (Scott - Marlow)
演奏時間:(2'01")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
レニー・ウェルチのカヴァー曲。
6. ゼアズ・ア・プレイス - There's A Place (McCartney - Lennon)
演奏時間:(1'49")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
7. ツイスト・アンド・シャウト - Twist And Shout (Medley - Russell)
演奏時間:(2'33")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
アイズレー・ブラザーズのカヴァー曲。
バンド名の由来
「BEATLES」は、ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフ[3]が考えた名前で、造語である。自分達の敬愛するロックンローラーバディ・ホリーのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツ(こおろぎ)にあやかって、同じ昆虫の名前ビートルズ(BEETLES、甲虫類の複数形)をマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』の中から思いつき[4]、クリケッツ(こおろぎの他にスポーツのクリケットの意味がある)のように2つの意味になるようにと、BEETLESに音楽のBEATを加える意味でスペルを変えてBEATLESとした。
ジョン・レノン曰く「言葉だけを聞くとモゾモゾ動く虫をイメージするだろ?でも字を見るとビート・ミュージックというわけさ」
バンド名を「ビートルズ」とした頃、ギグを取り仕切っていた者にその名前を嫌われ[5]「ギグに出たかったら『ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー』という名前に変えろ」と言われ、ギグに出る為にお互い譲り合うという形で、「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」しばらくしてロング・ジョンがとれて「シルヴァー・ビートルズ」と名乗っていた時期がある。「ビートルズ」の前に「シルヴァー・ビートルズ」と名乗っていたのはこうした経緯からである。